少し前の本
宝引の辰捕者帳 鬼女の鱗(うろこ)
文春文庫
発売日 1992年2月10日
ISBN 978-4-16-737806-X
価格:420円
装画:東啓三郎
泡坂妻夫が亡くなった。
この本は、泡坂妻夫が最初に書いた時代小説であり、私が読んだ最初の泡坂妻夫だった。
普通、小説というものは、主人公を中心にストーリーが進行していくものだが、この捕者帳は、主人公である“宝引の辰”以外の第三者が語り進める、というスタイルと採っている。
- 鬼女の鱗(文春文庫) より引用
- 最初の内はまだ仕事も少ない。閑
(ひま)になると親方のところへ行って仕事を手伝っていました。忘れもしません。菖蒲(しょうぶ)売りの声が威勢のいい五月の始めで、夕食を済ませたところへ、家を訪れる声がする。入口に立った嬶ぁが変にしゃっちょこばっているので見ると、立派なお武家です。 - 侍の客がないわけじゃありません。親方のところにもときどき侍が来ましたが、よくって御家人
(ごけにん)、お徒士(かち)か中間(ちゅうげん)といった、まあわたし達とそう大した違いのない連中ばかり。とにかく、まず前代未聞の出来事ですから、そのお武家を丁重に奥へ通しました。 - 褐
(かち)色の着物に黒羽二重(くろはぶたえ)の五つ紋の羽織、紋は丸に四つ目で、仙台平(せんだいひら)の袴(はかま)に大小を手挟(たばさ)んでいる。鬢(びん)のところに白いものが混っているので、年齢は五十五、六。実直な物腰ですが、どこか晴れない顔色をして、折入って頼みがあると切り出しました。改まってそう言われても、自分にできるのは彫物だけだと答えると、相手はその彫物を依頼したいのだと、懐から美濃紙を取り出して、この通りを彫ることができるか、と尋ねます。見ると、男紋の大きさで、丸に揚羽蝶(あげはちょう)、その右側に重なり合うようにして三つの鱗(うろこ)が並んでいる。いわゆる比翼紋がきちんと描かれています。
これは、「鬼女の鱗」の冒頭からの引用であるが、彫物師が語り手となって、“です・ます”口調で話が進んでゆくのである。「目吉の死人形」は、植木屋の若旦那、「柾木心中」は辰の娘、といった具合にそれぞれ語り手が異なるのである。このスタイルはとても新鮮で素敵だった。ちなみに、「改三分定銀」では、このシリーズで唯一、主人公の辰が語り手となっている。
この引用からもわかるように、家紋に対する表現が細かい。後で知ったことだが、本業が紋章上絵師という呉服に家紋を書き入れる職人とのこと。また、アマチュア奇術師として評価も高く、「目吉の死人形」のような一見不可能だと思われる犯罪トリックの謎解きもある。
職人であり、マジシャンでもある作家・泡坂妻夫の全てが詰まっているのがこの一冊だと思う。
この本は、現在絶版状態でなかなか入手が難かしいようだ。Amazonでは八冊、下記の“日本の古本屋”のデータベースでは、文春文庫ではなく、1988年に実業之日本社から出版された単行本が一冊、ブックオフのデータベースで検索すると文春文庫が一冊しか引っ掛らない。不謹愼な話だが、作家が亡くなると“あれが再版されないか、あれはどうか”などと思ってしまう。文藝春秋に期待する一冊である。
- 目次
- 目吉
(めきち)の死人形 - 柾木
(まさき)心中 - 鬼女の鱗
(うろこ) - 辰巳菩薩
(たつみぼさつ) - 伊万里の杯
- 江戸桜小紋
- 改三分定銀
(あらためさんぶじょうぎん)
- 目吉
ちなみに、このシリーズの最後は、去年の8月に出版されたシリーズ六冊目の「織姫かえる」である。まだ文庫にはなっていないので、私は読んでいない。今週末にでも読んでみようか。
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