城昌幸 じょう まさゆき
1904年(明治37年)6月10日、東京、神田駿河台に生れる。本名は稲並昌幸(いななみまさゆき)。詩人・日夏耿之介(ひなつこうのすけ)を知り、大正末期に詩人・城左門(じょうさもん)としてスタートする。詩人としては『東邦芸術』『文芸汎論』などを創刊、『近世無頼』を刊行する。
その一方、1925年(大正14年)、『探偵文芸』に発表した「秘密結社脱走人に絡まる話」で推理作家・城昌幸としてデビューする。城の推理小説は殆どが掌編で、ショート・ショートの先駆者であった。
1938年(昭和13年)、『週刊朝日 3月1日号』に「若さま侍捕物手帖」の第一作「舞扇三十一文字(まいおうぎみそひともじ)」を発表。シリーズは人気を博し、五大捕物帳の一つとも称せられる。
(五大捕物帳というのは、岡本綺堂「半七捕物帳」、野村胡堂「銭形平次捕物控」、佐々木味津三「右門捕物帖」、城昌幸「若さま侍捕物手帳」、横溝正史「人形佐七捕物帖」)
1946年(昭和21年)岩谷書店から請われ推理小説誌『宝石』を創刊、本名の稲並昌幸で編集長として活躍。創刊号から横溝正史の金田一耕助シリーズ『本陣殺人事件』を連載、探偵小説誌の中心的存在となっていく。1950年頃から岩谷書店の経営が苦しくなり、1956年7月号からは城が社長となる宝石社として独立することになる。
1949年(昭和24年)7月7日には、現在の日本作家クラブの前身である捕物作家クラブを創立、副会長に就任。大衆文芸作家たちの親睦、交流を図った。
1976年(昭和51年)11月27日、胃癌で亡くなる。72歳。

